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寺伝によれば当寺の開基は、天台宗の僧侶、恵堅が蓮如上人に帰依し、法名浄信を賜り天台宗より一向宗(現在の浄土真宗)に改宗するところからはじまる。その後、実如上人より寺号浄安寺を賜る。また、蓮如上人が大津御坊(現在の近松別院)より金森(守山市)の弟子の道西のところへ行かれる途中、当寺にお立ち寄りになりご休憩された時にお座りになられた
「お越し懸けの石」が境内の庭に今も現存する。 |
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浄安寺建立(再建)が深田作左衛門直儀(剃刀後祐西)により行われる。 |
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浄安寺開基佛(絵像)が本山より下付される。
(当寺に現存する) |
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浄安寺住職 浄恵は三重・菰野藩(土方氏)の寺社奉行 不破藤太夫に宗門改状(寺請状)を差し出す。
(現在宗門改状は、三重県菰野町の郷土資料館に保管されている) |
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浄安寺住職恵敬、当時開基目録を書き改める。
(その時の目録が現存する) |
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8月 本堂がはじめて瓦葺になる。この時本堂を再建したと思われる。(その時の鬼瓦が現存する) |
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親鸞聖人650回・蓮如上人400回御遠忌が勤修される。 |
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戦時中に供出された梵鐘が戻って来なかったため、同年3月、梵鐘を新調し慶讃法要を厳修する。
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第2室戸台風(昭和36年9月)により倒壊した鐘楼堂の再建が行われる。
昭和50年(1975年)
本堂屋根瓦葺き替えが行われる。 |
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現本堂建立後、永年の経過と老朽化に伴う主要柱の歪み(一部基礎を含む)の修復が行われる。 |
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老朽化に伴い、本堂・書院・山門の全面再建が行われ、竣工する。
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現10月、蓮如上人500回御遠忌・本堂山門落慶奉告法要が勤修される。 |
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