真宗大谷派 浄安寺 滋賀県草津市
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蓮如上人「お越し懸けの石」の由来

●蓮如上人「お越し懸けの石」

寺伝によれば、長禄三年(1459年)の春、本願寺第八代目の蓮如上人は、一番弟子である金森(守山市)の道西坊にお出会いするため、大津御坊より御下向遊ばされたとき、当寺にお越なされました。

そして、境内の中庭にあった石におかけになられてご休憩されたと言われています。

そこからこの石を「お越懸けの石」と言い伝えられ、今も中庭に現存します。


●浄安寺本堂屋根の鬼瓦

当寺の本堂は、宝暦九年(1759年)にそれまでの茅葺の本堂であったが、このときはじめて瓦葺になる。昭和50年に屋根の葺き替えを行ったときに降ろした下り棟の鬼瓦である。

当時、鬼瓦は火災から建物を守ると言われていて寺院の多くに用いられた。



大津絵風の鬼面を見つめていると邪心を睨みつけられているようである。
浄安寺本堂屋根の鬼瓦
手造りの鬼瓦の

左側面には
「宝暦九年八月吉日」と年号
が彫られている。

また、右側面には
「大津生 瓦師 新三 花押」
と彫られている。

左側面※大きい画像

右側面※大きい画像

蓮如上人「お越し懸けの石」の由来
※大きい画像
●指上申手形之事(さしあげもうしてがたのこと)

寛永十四年(1637年)
江戸幕府は、キリシタン禁止令を出し、村人は、どこかの寺に所属するよう宗門改めを行った。宗門改めは毎年行われ、村人だけでなく僧侶や神官も
「寺請手形(証文)」
の提出が必要であった。



写真の手形は、元禄十六年(1704年)当時住職であった浄恵が管轄の菰野藩の宗門奉行、不破藤太夫に提出した証文である。



現在、この手形の原文は、三重県菰野町の郷土資料館に保管されている


 
 
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